関係が変わるとき、多くの場合、大きな出来事は起きていません。喧嘩をしたわけでもない。嫌いになったわけでもない。決定的な一言があったわけでもない。ただ、前は説明していたことを「まぁええか」と思った。その判断があっただけです。
「まぁええか」は、距離を取る宣言ではない
この「まぁええか」は、距離を取ろうとする意思表示ではありません。むしろ、多くの場合は逆です。
- 今は言わなくても大丈夫だと思った
- 説明するほどのことじゃないと感じた
- 関係が安定している証拠だと思った
つまりこれは、関係を信頼しているからこそ出てくる判断です。
説明をやめた瞬間に起きていること
説明をやめたからといって、感情や違和感が消えたわけではありません。それらは、「共有されないもの」として関係の外に置かれます。
- 誤解されるかもしれない感覚
- 以前なら伝えていた小さな引っかかり
- 言葉にすると面倒になりそうな気持ち
これらが、問題ではないものとして処理されていきます。この時点では、関係が悪くなったという実感はほとんどありません。
「説明しなくてもいい関係」になったという感覚
「まぁええか」と思った瞬間、関係はひとつの段階を越えています。それは、説明しなくても成立する関係に入った、という感覚です。
この感覚は楽です。言葉を選ばなくていい。誤解を気にしなくていい。波風を立てなくていい。
ただし同時に、関係の中で更新される情報は減っていきます。
問題が起きないから、問題として認識されない
説明をやめた直後、何かが壊れることはほとんどありません。関係は普通に続きます。むしろ、前より穏やかに感じることさえあります。
だからこそ、この変化は見逃されやすい。説明しなくなったこと自体が、問題として扱われることはほぼないからです。
「まぁええか」が続いた先で起きやすいこと
この判断が何度も重なると、次のような状態が生まれやすくなります。
- 何を共有していないのか分からなくなる
- 自分の中だけで処理する感覚が増える
- 関係は続いているのに、手応えが薄くなる
これは、関係が壊れている状態ではありません。ただ、説明という選択肢が関係から少しずつ消えている状態です。
説明をやめること自体が悪いわけではない
ここで重要なのは、説明をやめたことを否定しないことです。すべてを言葉にする関係は、それはそれで負担になります。
問題になるのは、「説明してもいい関係だと思えるかどうか」その感覚が残っているかどうかです。
まとめに代えて
前は説明していたことを「まぁええか」と思った瞬間、関係は終わりに向かっているわけではありません。ただ、関係の使い方が変わっただけです。説明しなくても続く関係になったのか。それとも、説明できなくなった関係になったのか。その違いは、あとから振り返ったときに、静かに見えてくるものかもしれません。